ついに来ました…
日本では日付が変わってますが、MJが亡くなったのは日本時間の26日朝方。
あれから4年。
知り合いのMJファンの人がFBに
「マイケルは4年前の今日、引っ越しをして新しい生活を始めた」
と書いているのを見て、ああそうなんだーーと。
4年前の今朝のこと、ファン仲間の一報で目が覚めた。
「マイケル死んだらしい」
ぽかーんとして慌ててテレビをつけると本当だった。
元から個人的にあまり長生きできない人だろうとは思っていたけれど、まさか。まさか今なのか?
状況をろく理解できないまま、出勤した。
心臓の鼓動がずっと速かった。
仕事先に向かうバスの中で電話がかかってきた。
大学時代の親しい友人だった。私のMJ熱をよく理解してくれた人。
「あやは〜 こんなこといってもなんだけど…死なないでね…」
「まさかそんなばかなことするわけないよー」
と苦笑いしながら、友人の思いに感謝しながら、堪えていた涙が大量に溢れ出した。それから人目もはばからず号泣した。
教育職なのですが、その日の授業はどうやってこなしたかよく覚えていない。
授業が終わると、すぐにさいたま芸術劇場へと急いだ。
ベルギーの美術家・振付家ヤン・ファーブルの「寛容のオルギア」を見るため。
「消費」についての作品だった。アドリブだと思うのだがMJの踊りを即興でやってくれたダンサーがいた。またじんときた。
さいたまからの帰りの電車では舞踊界の大御所評論家の某先生と一緒した。
MJのことを話した。共感して下さった。が、それよりも先生はMJよりも少し前に旅立ったピナ・バウシュのほうで打ちひしがれていた。(ピナについては私も多いに辛かった)大事なものを無くしたもの同士、悲嘆にくれた。
さいたまから新宿の損保ビルを目指した。
ここはストリートダンサーのメッカ(練習場所、建物のガラスを鏡代わりに使っていた)であり、私もMJダンスを練習しにお世話になった思い出の地。
損保ビルはしばらくご無沙汰していたが、仲の良いファンが一斉に集っていた。
語り合いながらそこで一夜を明かした。(途中でファミレスに移動)
集まった最初はみなどんよりしていたが、明け方帰る間際には笑っていた。
MJの突っ込みどころ満載なエピソードで盛り上がった。
ありがとう、仲間。
繰り返すが あれから4年。
追悼イベントやトリビュートパフォーマンスは今でも世界中で行われ、MJの遺した多くの音楽やダンスは愛され続けている。
一番大事な彼のメッセージも。珠玉の言葉の数々は歌詞となって歌に乗せて人々を啓蒙している。
短い年月だったかもしれないけれど、彼と同時代を生きることが出来たのは大きな幸せだ。
いつか、MJファンの振付家・ダンサーと一緒にやれたらいいなと密かに思っている。
(ストリートダンスやジャズだけでなく、コンテンポラリーダンス界にもMJファンは多いのです)
さて、「ファンタジー」いよいよあと1ヶ月!!